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札幌地方裁判所 昭和54年(わ)590号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中七三〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五四年五月一〇日午前三時四五分ころ、北海道静内郡静内町本町四丁目一四番地付近路上において、知人のA(当時五七年)と連れ立って帰宅途中、酒に酔った同人から「俺が足の悪いことを知って歩かせるつもりか。」、「俺をおちょくっているのか。」などと言われ、いきなりシャツの後ろ襟首をつかまれて引っ張られたことに憤激し、同人の顔面を手拳で殴打したうえ、近くにおいてあった長さ約一メートル九〇センチ、直径約八センチメートル、重さ約三・四五キログラムのから松丸太を手に持って同人の左後頭部を殴打して同人を路上に転倒させ、よって翌一一日午前一一時三五分ころ、札幌市中央区南一条西一三丁目中村脳神経外科病院において、脳幹部挫傷により同人を死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の公訴棄却の主張に対する判断)

弁護人は、(一)訴因変更前の本件暴行の公訴事実(被告人が手拳で本件被害者Aの顔面を殴打した事実)には、当初の公訴提起の段階で、被告人の自白以外に何ら補強証拠がなく、右公訴提起を許容するに足る客観的嫌疑はなかったのであるから、右公訴提起は違法なものであり、かような違法な公訴提起を前提になされた傷害致死(被告人が手拳及び丸太で右Aを殴打して脳幹部挫傷により死亡させた事実)への本件訴因変更は無効なものであり、また、(二)本件は、犯罪の構成要素について基礎となる証拠及びその評価に何ら変更がないのに検察官の恣意によって訴因が変更されたもので、かような訴因変更は、デュープロセスに反し、訴因変更制度を認めた刑事訴訟法の趣旨にも反するものであるから、いずれにしても訴因変更後の公訴は違法であり、公訴棄却されるべきである旨主張する。

そこで右の二点について判断するに、本件は、昭和五四年五月三一日に「被告人は、昭和五四年五月一〇日午前三時四五分ころ、静内郡静内町本町四丁目一四番地付近路上において、Aに対し、同人の顔面、頭部を手拳で殴打して暴行を加えた」との公訴事実で起訴され、公判手続が開始され、検察官申請の五名の証人の取調べが終わった第四回公判期日(同年九月二七日)に至って、ほぼ判示(罪となるべき事実)記載と同様の事実に訴因変更がなされたものであるが、およそ補強証拠は、自白の真実性を保障する程度の範囲の事実について存すれば足りる(最判昭和二三年一〇月三〇日・刑集二巻一一号一四二七頁、最判昭和二四年七月一九日・刑集三巻八号一三四八頁等同旨)ものと解されるところ、一件記録によれば、訴因変更前の暴行の事実での公訴提起時において、被告人が本件被害者A(以下Aと略称)の顔面付近を右手拳で殴打したとの被告人の自白(被告人の検察官(昭和五四年五月一八日付、同月二八日付、同月二九日付)及び司法警察員(同月一〇日付、同月一一日付、同月一五日付、同月一七日付)に対する各供述調書)以外に、被告人とAが本件直前ころに連れ立って現場付近の方に歩いて行ったことを目撃した者の供述調書(Bの検察官に対する同月一七日付供述調書・本調書は弁護人が不同意にしたため、証拠調には至らなかったが、第二回公判調書中の証人Bの供述部分及び検察官証拠等関係カード一三番の立証趣旨からして、本調書の内容はおおよそ窺えるものである)や被告人がAを手拳で殴打したと指示する地点の近くにAが転倒していた状態で発見された旨の司法警察官作成の同月一〇日付実況見分調書、同月一〇日付司法警察員作成の捜査報告書が存在していたことは明らかであり、右各資料は、被告人の右暴行の自白の真実性を保障するに足るものと目されるから、昭和五四年五月三一日の本件起訴当時において、当初の訴因である暴行について、被告人の自白に補強証拠が存したことは明らかであり、この点に関する弁護人の主張は前提を欠くから失当である。また、現行法上、新証拠の発見、証拠評価の変更等は訴因変更の要件となっていないことは明らかであって、本件訴因変更が適法手続保障の原則に反するとも考えられない。

よって、公訴棄却を主張する弁護人の主張は採用できないものである。

(弁護人の事実関係についての主張に対する判断)

弁護人は、被告人がAを丸太で殴打して路上に転倒させた事実はなく、被告人の行為によってAが死亡したものではない旨主張し、被告人も、丸太でAを殴打した記憶はない旨弁解するので、以下この点につき検討を加える。

第一Aの死因と同人に加えられた暴行の態様について

関係証拠によれば、

一、Aは、昭和五四年五月一〇日午前四時二五分ころ、北海道静内郡静内町(以下静内町と略称)本町四丁目一四番地先の舗装道路上に右額部を路面につけ、うつ伏せの状態で倒れているのを発見され、病院に収容されたこと、

二、Aは翌一一日午前一一時三五分死亡したが、死因は脳幹部傷挫(厳密には脳橋部の出血)であったこと、

三、Aの前額部右側には、左右六センチメートル、上下三センチメートルの長方形の表皮剥脱があり、これに一致する部分に帽膜及び筋肉の断裂があり、この断裂部に相応して右前頭骨及び右側頭骨に骨折があり、右側頭部には骨折部に一致して硬膜下血腫があり、さらに、Aの左側頭部にも表皮剥脱があり、左乳様突起部に対応する帽膜及び筋肉に断裂があり、左側頭骨は骨折しており、脳橋には出血があるが、これは右骨折が生じた際の打撃又は衝撃によって生じたものとみられること、

四、Aの左側頭部の骨折と右側頭部の骨折とは対角線上にあること、

五、Aの右表皮剥脱は、その形状からみて手拳ではできにくく、アスファルトなどの硬い路面に打ちつけた際できたものと考えられ、右帽膜等の断裂も手拳ではできにくく硬鈍体による打撃によって生じたものとみられること、

六、右いずれの傷害もAの自傷によるものとはみられないことなどの諸事実が認められ、以上のようなAの負傷部位程度、Aが発見された際の同人の体位等を併せ考えると、同人は、何者かにより左後頭部付近を硬鈍体で強打され前方に倒れ、前額部右側付近を路面に打ちつけ、その結果脳幹部に挫傷が生じ死に至ったものと推認できるものである。

第二Aに対して使用された凶器は本件から松丸太か否かについて

関係証拠によれば、

一、路面に倒れていたAの頭部付近にから松と目される木片が散乱していたが、現場道路には、本件の前日までそのような木片は落ちてなかったこと、

二、Aの倒れていた地点から約一三メートル南にあるC方物置に長さ約一・九メートル、直径約八センチメートルのから松丸太(以下本件丸太と略称)がたてかけられてあったのを右Cは、Aが倒れているのを発見された後の同日午前七時ころ発見していること、

三、本件丸太は、昭和五三年一〇月ころから、右C方物置横に地面に寝かせて置かれていたもので、本件前日にも右Cの妻がこれを確認しており、その後、本件当日の午前七時までの間に何者かが、これを移動させたとみられること、

四、Aの頭部付近に散乱していた木片は本件丸太から分離された可能性が極めて高いこと、

五、Aの後頭部の変色斑は、本件丸太を水平殴打してできる可能性があること、

六、Aは前額部を路面につけた状態で倒れているのを発見され、同人の前頭部付近が接していたと目される路面にたて二五センチメートル、横五五センチメートルの範囲に同人の血液型と同じ型の血痕が付着しており、これは同人の前額部付近からの出血とみられるが、路面に残っていた血痕はここ一ヶ所のみであり、犯行後、発見に至るまで同人の体が移動された形跡はないこと

が認められ、これらの事実を総合すれば、本件犯行に用いられた凶器は、本件丸太であり、犯行現場は、Aの転倒していた地点付近であったこと、さらには、Aは、本件現場で何者かにより本件丸太で後頭部を殴打され、前方に倒れ、前額部を路面に打ちつけたため脳挫傷の傷害を負い、右傷害が起因となって死亡したものとの事実をも認定し得る。

第三本件丸太でAの後頭部を殴打した者と被告人との結びつきについて

前記のとおり、被告人は捜査段階からほぼ一貫して、現場付近でAを手拳で殴打した事実は間違いないが、その直後からの記憶を失ったので丸太で同人を殴ったかどうかはわからない旨供述しており、また、本件において、暴行の直接の目撃者などいわゆる直接証拠と目されるものは存しないが、次のような事実が認定できる。

一、被告人とAが、本件犯行時刻直前に現場付近に向って連れ立って歩いていたこと。

関係証拠によれば、被告人とAは、同一アパート内の隣り合わせた部屋に居住する者であり、本件のあった昭和五四年五月一〇日午前零時三〇分ころから、同アパートの被告人方居室において、共に飲酒し、午前一時三〇分ころ、両名は、被告人の車で静内町内の飲屋へ赴き、飲屋二軒で飲酒した後、同日午前三時三〇分ころ、被告人の車で被告人のなじみのスナックホステスD子宅へ出かけたが、右D子宅で被告人は右D子と口論となり、被告人は右D子から帰るよう言われたため、被告人とAは、同日午前三時四〇分ころ、右D子宅を出たこと、そして、両名は右車に乗り、被告人は同車を運転し後退させようとしたが、運転を誤り同車を付近に積まれていた丸太の山に乗り上げさせてしまい、同車は動かなくなってしまったこと、そのため被告人は、同車をその場に放置し、Aと共にその場を立ち去り、本件現場付近に向ったことが認められる。

二、被告人が本件現場付近でAを手拳で殴打したこと。

関係証拠によれば、被告人とAは前記のとおり連れ立って歩いていたが、Aは右足が不自由で、被告人に比し歩行速度が遅いため、次第に被告人より遅れるようになったこと、そこでAは被告人に対し、「足の悪い俺に歩かせるのか。」と声を掛けたが、被告人は歩みを止めることなく、「ハイヤーをひろうから。」と受け流したこと、するとAは、被告人の背後から、いきなり被告人のシャツの襟首を引っ張り、「俺をおちょくるのか。」と言ったこと、そこで被告人は憤激してAの顔面付近を手拳で殴打したことが認められる。

三、被告人の右暴行と本件丸太による殴打行為とはほぼ連続して行なわれたものとみられること。

関係証拠によれば、Aが死亡し、死体が解剖された際に、Aの足部には特に歩行を妨げるような負傷はみられなかったこと、本件丸太で打撃され転倒した際に生じたとみられる頭部の負傷以外にAが転倒し、意識を失うような傷害はみられないこと、Aは後頭部を本件丸太で強打され、前額部付近を路面に打ちつけたものとみられるが、同人の前額部の負傷状況からみると、転倒の際の衝撃は相当強度なものであり、同人は起立していた状態で本件丸太で殴打されたとみられること、同人は本件丸太による打撃を受ける以前は歩行が可能な状態にあったとみられること、同人は帰宅途中であり、現場に停止すべき事情は窺われないこと、さらに被告人がAを手拳で殴打した地点と同人が本件丸太による打撃を受け転倒していた地点とは約一二メートル余しか離れていないことが認められ、右各事実を総合すると、被告人の手拳による殴打行為と本件丸太による打撃行為とは、ほぼ連続して行なわれたものと推認できるものである。

四、被告人以外の者がAを殴打する可能性がないこと。

関係証拠によれば、本件犯行時刻は早朝であり、現場付近にはほとんど人通りがなかったことが認められ、被告人の手拳による前記暴行に続いて、第三者がAを本件丸太で殴打するという可能性は容易に想定できないものである。

この点につき、弁護人は、当日午前四時ころ、現場近くで別の傷害事件が発生しており、この犯人が被告人以外の者である可能性は高く、被告人以外の第三者がAに本件暴行を加える可能性は否定できない旨主張する。そして、関係証拠によれば、本件当日の午前四時ころ、本件現場から約一〇〇メートル東方の静内町本町三丁目四一番地付近路上で、女友達を連れて歩行中のE(以下Eと略称)が、三〇歳位の男にひやかされ、Eがこれに応待したところ、男に手拳で殴打され負傷したという事件が発生していることが認められる。

しかしながら、関係証拠によれば、Aが倒れていた道路は、約一〇〇メートル西方向で行き止まりになっていること、右道路には行き止まりになる寸前で南北に小路があるが、当日午前三時ころから一~二時間北側小路でくず集めをしていたBは、被告人とA以外に通行人があったとは供述しておらず、また、南側小路先及び本件道路の両側には、飲屋など深夜早朝でも人の行き来があるような施設はほとんど見当らないこと、Eに暴行を加えた男は、何の理由もなく通り魔的に暴行を加えたのではなく、Eが女性を連れて歩いているのを揶揄したのに対し、Eが立腹し男の方に向って行ったことが原因となっているのであるところ、本件事件において被告人が単に手拳による暴行のみでAのもとから立ち去ったならば、Aはその後一人で歩行していたはずであり、しかも、Aは相当の年輩者であり、かような者をいきなり丸太で殴打するような行為に及ぶ動機は容易に想定しえないこと、暴行の行為態様自体もAに対するものとEに対するものとでは相当異なっていること、前記のように本件丸太による暴行は、被告人の手拳による殴打行為とほぼ連続して行なわれたものとみられるが、第三者が被告人の右暴行に続いて突如本件現場に出現し、ことさら本件丸太で何の理由もなくAの頭部を殴打するという可能性は経験則上極めて乏しいものであることが認められる。右のような本件道路付近の形状、早朝の通行状況、別件傷害事件と本件との形態の違い、動機の存否等を考慮すると、別件傷害事件が存したこと自体から、被告人以外の者がAを本件丸太で殴打した可能性を窺わしめるものとはみられないものである。

五、被告人が本件丸太でAを殴った可能性が高いこと。

(一) 物理的可能性

関係証拠によれば、本件丸太は、昭和五六年五月当時の重量は三・四五キログラムであったが、本件丸太は二〇年以上前に切断されたものであり、右計量時と本件犯行当時とではその重量に大きな変動はないとみられること、被告人は本件丸太を両手はもとより片手でも持ち上げることができた事実が認められ、以上から、被告人が本件丸太を振り回してAの後頭部付近を打撃することは物理的に十分可能であったとみられる。

(二) 場所的可能性

関係証拠によれば、Aの転倒地点から当時本件丸太の置かれていた所までは約一三メートル余であったこと、Aは右足が不自由で歩行速度が遅いことが認められ、被告人が手拳でAの顔面を殴打する暴行を加えた後、被告人が本件丸太を持ち出しに行っている間に足の不自由なAが歩行(跛行)したとしてもさほど場所的に移動してはいないものと推測され、被告人が、Aの本件転倒地点付近で判示認定行為に及んだ可能性が極めて高いものである。

(三) 時間的可能性

関係証拠によれば、Aは本件当日の午前四時二五分ころ、本件現場に倒れているのを警察官に発見されたが、その時点でAの額の出血及び路面に付着した血痕は乾きはじめており、出血時からある程度時間が経過していたとみられること、前記のとおり、被告人とAが本件現場付近に至ったのは同日午前三時四〇分過ぎころであることが認められ、その直後被告人がAを本件丸太で殴打したのであれば、前記血痕の乾燥状況と矛盾しないものと解されるところである。

(四) 被告人の着衣等に血痕、木片等の付着がない点については、必ずしも不合理とはいえないこと。

関係証拠によれば、当時被告人の着用していたカーディガン、ワイシャツ、ズボン、短靴からは血液、木片の付着がみられなかったのであるが、他方、前記のとおり、Aは後方から本件丸太で後頭部を殴打され、前方に倒れ、前額部を路面に打ちつけたものとみられ、出血は主として前額部及び顔面の挫創から生じたものとみられること、現場路面に付着していた血痕はAの頭部を中心にたて約二五センチメートル、横約五五センチメートルの範囲の一ヶ所だけであったこと、本件丸太の先端付近は本件打撃により折れ又は砕けるなどしてAの頭部を中心に一メートルほど路面に飛散していることは明らかであるが、本件丸太は長さが約一・九メートルあり、被告人がAより一メートル以上離れた地点から同人を殴打することも十分可能な状況にあったことが認められ、以上の事実を併せ考えると、本件打撃者に、Aの血液又は本件丸太の破片等が付着せずとも不合理なものとはいえないから、被告人の着用品に血液、木片の付着がないことが被告人が本件犯行に及んだ可能性を否定する要因にはならないものと解せられる。

以上の諸点から、被告人が本件丸太を手に持ってAを殴った可能性は、極めて大と認められるものである。

六、被告人が本件丸太を両手でつかんだ可能性を窺わせる事実が存すること。

関係証拠によれば、本件丸太には黒褐色の土砂が付着していたこと、本件当日の午前六時一五分ころ、警察官が被告人方に赴いた際、被告人の両手は黒褐色に汚れていたこと、その後被告人は警察署へ任意同行されたが、その間被告人は、手で腕をさすったり、胴巻に手を入れたり、手をズボンにこすったりしていること、同日午前七時ころ、被告人の両手の汚れを採取したゼラチン紙から、(岡本賢二作成の鑑定書によれば)微小な石炭粒の付着が認められ(鑑定人棚井敏雅作成の鑑定書によれば、黒色の角稜ある微粒が二、三認められ)、右事実は、被告人が本件丸太にふれたことの可能性を窺わせるものである。(なお、検察官は、本件丸太と被告人が本件当日履いていた革短靴にはいずれも土砂が付着しており、両者に付着していた土砂の類似性は顕著であるから、ほぼ同一場所の土砂が両者に付着したものである旨主張するが、関係証拠によれば、右土砂は支笏火山の火山灰に由来するものであるが、右火山灰は静内町中心に幅約三〇キロメートルに分布するものと認められ、右土砂が当初本件丸太の横たえてあった地点のみに存在していたものとは断ぜられないから、右事実自体が、本件丸太と被告人とを結びつける有力な間接証拠ということはできないものである。)

七、被告人には、Aに対し判示犯行に及んでも不自然でない動機が存在していたこと。

関係証拠によれば、被告人は飲酒し、ある程度酔っていたが、本件の直前ころ、Aの面前で知人のスナックホステスD子と口論し、同女から同女宅を追い出されるようにして出されており、そのことによる屈辱感から内心おもしろくない気持ちにあったのに、本件現場付近でAから前示のとおりからまれ、さらにAは被告人のシャツの襟首を引っ張ったので、被告人はAに対し、強い憤りの念を感じ、Aの顔面付近を手拳で殴打するまでに至ったこと、被告人は暴行前科多数を有し激高しやすい性格の持主であることなどの事実が認められ、以上の各事実を併せ考えると、被告人の気持ちがおさまらず、手拳による右殴打に引続いてAを本件丸太を用いて殴打することも動機として十分了解可能なものとみられるのである。

第四結論

以上説示したような本件被告人とAとの関係、本件直前の被告人とAの行動状況、Aの負傷状況、手拳による暴行と本件丸太による暴行の連続性、現場付近の状況、右凶器の形状、使用態様、動機と目される事情の存在等を併せ総合判断し、当裁判所は、被告人が判示犯行に及んだとの事実を認定したもので、そこには合理的な疑いを入れる余地はないとの確信に到達したものである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち七三〇日を右の刑に算入することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の心神喪失・耗弱の主張に対する判断)

弁護人は、被告人が本件犯行当時飲酒した結果病的酩酊におちいり、さらにAに襟首を引っ張られたことにより呼吸困難となり、一過性の低酸素症にかかったため心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあったと主張するのでこの点につき判断するに、関係証拠によれば、被告人は本件犯行前に飲酒をしていたこと、本件犯行の約四時間後に実施された被告人に対するアルコール検知の結果によると、呼気一リットル中に〇・二五ミリグラム以上のアルコールが検知され、歩行にふらつきが認められ、本件当時もある程度酒に酔っていたことは認められるが、他方、被告人の平素からの飲酒可能な量はビールなら二〇本、ウイスキーなら一本と相当多量であるところ、被告人が本件犯行前に飲酒した量は合計ビール二~三本、ウイスキー水割六~七杯、清酒一合程度であって、しかもその量を犯行前日の午後八時三〇分ころから犯行当日の午前三時ころに及ぶ長時間をかけて飲んでいること、被告人は飲酒後犯行現場に近い前記ホステスD子宅まで車を運転して行き、同女と会話をかわしているが、特に異常はみられなかったこと、本件犯行後、被告人は徒歩で現場から約二・五キロメートル離れた被告人方自室に戻っており、右帰宅後、被告人方に泊まっていた友人と会話をかわしているが特に変わった点はなかったこと、本件犯行の動機も十分了解可能なものであること、被告人は本件犯行直前に至るまでの自己の行動につきかなり詳細に供述していることなどの事実が認められ、これらを総合して考えれば、被告人は本件犯行当時事理を弁識しこれに従って行為する能力に著しく影響を及ぼすほど深く酔っていなかったことは明らかであり、また、被害者から襟首を引っ張られた程度で低酸素症にかかって長時間意識を失うとは経験則上認められないところであるから、弁護人の右の主張を採用することはできない。

(量刑の理由)

被告人の本件犯行の態様は、かなり大きく重い丸太棒で被害者の頭部を殴打するという極めて悪質なものであって、その結果、貴重な人命を奪ったことを考えれば、被告人の責任は重大であり、しかも被害者の遺族には何ら慰藉の途は講じられておらず、遺族も厳重処罰を望んでいること、被告人には粗暴犯の前科もあることを併せ考えると被告人には厳しい処罰が要求されるところである。したがって、本件犯行の誘因が被害者にもあったこと、本件は飲酒の上での偶発的な犯行で、被告人は相当長期間勾留され現在深く反省していること等の事情を考慮に入れても、なお主文の量刑は免れない(求刑懲役三年)ところである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥田保 裁判官 岡部信也 横田信之)

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